試合は阪神が勝った。
この試合のヒーローインタビュー。
お立ち台にあがったのは、先発投手の上園とキャッチャーの矢野だった。
もちろん、阪神のキャッチャーといえば矢野なのだが、この日の矢野は上園とのバッテリーとしてお立ち台にあがったわけではない。
そもそもこの日、矢野は上園の球を一球も受けていない。
それどころか、シーズン3勝している上園の球を、矢野は今シーズン通して一球も受けていない。
矢野は、あくまでも代打で先制タイムリーを打ったのでお立ち台に立ったのである。
この日のキャッチャーは野口であった。
野口は、1989年にドラフト外でヤクルトに入団すると、翌年に入ってきた現ヤクルト監督の古田の控捕手としてほとんど出場することはなかった。
しかし、野村門下生として日夜当時の野村監督(当時)の教えを学んだ結果なのか、リードは古田より上ではないかと言われていたものであった。とはいえ、バッティングで当時首位打者を獲得していた古田が相手では守備機会に恵まれるはずもない。
トレードで日本ハムに行ったときが、野口のある意味で最も輝いていたときかもしれない。
2000年には正捕手として優勝争いを経験し、3割近い打率も残している。
しかし、その後は實松(現読売)にポジションを奪われてまたまた控捕手に。
2002年オフには、星野監督(当時)に請われて阪神へ。
多分、星野監督はハナから野口を正捕手で使うつもりはなかったのだろう。
それでも、2003年の阪神の優勝に最も貢献した新加入選手として野口の名前を挙げている。ベンチに野口がいるということ、つまり正捕手の矢野に万が一のことがあっても戦力が落ちないということが、一番の補強だったというのである。
ちなみに、2002年オフに阪神は選手の半分近くを入れ替えているので、新加入選手は凄い数だったにもかかわらずである。金本を始めとして、下柳、伊良部なども同じ年の新加入選手だ。
その最も貢献した男は、その優勝した年も、それ以降もほとんど試合には出ていない。
最近では、若手投手が投げる日は野口が受けるということが多い。
7月27日の横浜戦においても、野口は新人の上園の球を先発として受けていた。
両軍無得点で迎えた5回裏、野口は絶妙の送りバントでランナーを進めて先制機を演出している。
その後チャンスは拡大し、満塁となったところで代打の矢野が先制タイムリー。矢野はそれで引っ込んだ。
このワタクシが野口だったら、こんな人生は楽しいとは思えない。
いくら「こいつが最もチームに貢献した」と言われても嬉しくない。
それでも、今年は開幕2軍スタートにまでされた野口は、黙々と2軍の若手ピッチャーの球を受け、若手キャッチャーを指導し、今は一軍で若手ピッチャーに勝ち星をもたらしている。
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