それよりも、霧で大変な目に何回もあったのが北京である。
その日は朝8時の成田行きの飛行機に乗るために、5時に起きて6時前には空港に向かうべくホテルを出た。中国の経済的な成長によるとは思うのだが、昔と違って、北京空港の朝は出発便が集中しているのか、空港に直結している高速道路が空港を先頭に数キロ渋滞することは日常茶飯事となってきた。よって、少しの出発の遅れが、飛行機に乗り遅れることになりかねない。
12月にもなると、6時前の北京はそもそも気温がプラスであることはほとんどなく、おまけにまだ日も昇っていない。冷凍庫に飛び込むような気分で、僕と彼女はホテルを飛び出し、タクシーを止めた。さすがに、まだ人も車も、ついでに自転車もほとんどいない、まだ眠ったような街を空港に向かう。
空港に近づくにつれて、モヤが掛かっていたような景色が徐々にに見えにくくなってきた。明らかに霧である。
過去の経験から、「これでは飛行機は飛ばない」と思った。
空港に着くと、普通にチェックインが行われ、時間通りに搭乗が始まった。二人は、飛行機の中のかなり後方の座席に、窓から二人並んで座った。客は30%程度しか乗っていない。
窓から外を見ると、隣の飛行機が判別できないくらいに霧はひどくなっており、遂にはその飛行機まで見えなくなってしまった。しばらくすると、機長が、「出発が1時間程度遅れる」ことを伝えた。さらに、「既に扉が閉まっているので、電気製品は使用しないよう」にと付け加えた。二、三列前に座っているビジネスマン風の男が、「携帯電話で遅れることを伝えたい」と客室乗務員に言っているが、「それはダメだ」とたしなめられている。今時、そんなことを言っているのは、日系の飛行機だけではないか、という気がしないでもない。
僕は、ふと昔のことを思い出した。
まだ飛行機に普通に喫煙席があった頃なので五年以上は前だと思うが、まったく同じ状況に出くわした。その日は土曜日だったが、北京に出張していた僕は、今隣に座っている彼女の待つ東京に少しでも早く帰ろうと朝一番の飛行機に乗った。外はすごい霧で、飛行機は霧が晴れるのを三時間ほど待って離陸した。その間、機長が三十分に一回ほど状況をアナウンスしていた。最初のうちは、「あと十五分で出発できる」などと言っていたが、そのうちに、「管制塔の言っていることは信用できない」だとか「これが中国だ」とか言い出す始末で、最後までいつ飛ぶのか判らなかったのである。それにしても驚いたのは、ようやく飛行機が離陸した瞬間、喫煙席のあたりは、それまでの霧以上の煙が立ち込めたことであった。。。
成田で待っていた彼女は、昼ごろに着く僕を迎えに朝早く家を出てくれていた。それが、空港に着いたら、飛行機はまだ飛んでいない、、、と教えられ、数時間待たされるハメになったのである。彼女は、ようやく成田に着いた僕を激しく叱責したのであった。どうして連絡ぐらいできないのか、、、とあまりに激しく怒られたのだが、とりあえず、怒りが収まるのをジッと耐えたのであった。ヒステリックな女性に何を言っても通用しない、というのが男性界の常識である。「連絡なんてできるわけがない」なんて言おうものなら、えらいことになってしまう。。。その日のデートの間ずっと彼女の機嫌は回復することはなかった。
その後も、些細な喧嘩は多かっただけに、これだけ長い間付き合ってきたのは不思議な気がする。おまけに、僕の北京への駐在辞令が出たのをきっかけに、遂には婚約までしてしまった。今回は、二人が結婚後に住むところを探しに北京に婚前旅行したのであった。この旅行中も些細な喧嘩は絶えなかった。僕は、心のどこかで、まだ結婚を迷っているような気がする。
朝早く起きたせいか、飛ばない飛行機の中で彼女は熟睡していた。
ようやく、霧が少し晴れてきた頃、飛行機は滑走路に向かい、しばらくして滑走を始めた。エンジンの爆音の中目を覚ました彼女が、空に向かって斜めになって上昇いる飛行機の中でつぶやいた。「飛行機って、乗ってしまったら何もできないのね。あのときはゴメンなさい」
雲を抜けた飛行機の窓から陽の光が差し込み始めた頃、僕の心の霧も晴れ上がっていた。
ラベル:愛