もう今年だけで何回入出国を繰り返しただろうか。そして、この繰り返しを15年近くも続けている。
安子の勤めるいわゆる外資系メーカーの本社のあるアメリカや、彼女が統括しているアジア地域、それに会議があればヨーロッパへも飛んでいる。少ない年でも年間30回は入出国しているだろう。
人から見れば、文字通り世界を又に駆けるビジネスウーマンなのかもしれない。誰にとっても他人の芝生は青いものだが、安子にとっては、ニューヨークなんて一生に一度か二度くらいゆっくりと旅行できれば構わない。それが、今は毎月、ひどいときには月に二度以上もニューヨークに行っている。シンガポールや上海も同様である。
一体この生活はいつまで続くのだろうか。安子は時々そう考えるようになった。大学を卒業してから15年も経てばいい歳である。
彼女の勤める外資系の会社といえども女性であることのハンディキャップは大きい。別に仕事上のハンディキャップが大きいと言う意味ではない。周りからは「いつになったら結婚するのだ?」と興味本位で聞かれることも多いが、現実的には会社の生活と私生活を両立するのはこの国では難しい。本社のあるアメリカでは、会社の中に託児所も幼稚園も設置されている。これはアメリカの中でも特別なケースかもしれないが、そこまでの設備が無くても社会全体が女性の社会進出を支えているということが判るのがアメリカである。一方、日本では、そもそも社会的にも文化的にもそのような状況からは程遠い。
仮に、性別の問題を度外視しても、今の安子の仕事は忙しすぎるかもしれない。
成田空港の駐車場に止めた四駆の車に乗った彼女は、15年間走り続けている東関東自動車を通って都心に向かった。
安子が四駆に乗っているのはたいした理由ではない。
大学時代に付き合っていた裕はアウトドア派で、四駆に安子を乗せてはキャンプをしていた。裕は医学大学で獣医を目指していたこともあり、牧草地などでよく馬に乗ったり、牛の乳を搾ったものであった。安子は馬に乗っては振り落とされ、牛の乳を搾っては牛を怒らせて鳴かせていた。時々、そのはるか昔の出来事を思い出すことがある。裕はまだペーパードライバーだった彼女を運転席に無理やり座らせては林道に入るように指示したりして安子をいじめて楽しんでいたようだった。
結果的に、普通の車よりは高い位置に運転席のある四駆に慣れた安子は、それ以来林道に行くわけでもなく、単なる乗用車として四駆に乗り続けているのであった。
卒業を前に、安子はビジネスウーマンとなる道を選んだが、裕は北海道の農協に獣医として雇われることになった。最初のうちは連絡を取り合っていたが、しだいに疎遠になってそのままになっている。
高速道路を走る彼女は、最近特に忙しくなっていたせいか、ふと北海道ののどかな風景を頭に思い浮かべていた。頭の中での想像だけが飛躍した彼女には、東関東自動車道が北海道の原野を走る一本道に思えてきた。
そして、安子はいてもたってもいられなくなり、思わず北海道へのフェリーを運航している会社を調べて電話をしたのであった。
確認してみると、東京からは、北海道に車は運ぶが人間は運んでいないということであった。心だけは原野に飛んでいる彼女は、思わず車だけ運んでもらうべく予約を要れ、そのまま有明埠頭に車を走らせた。
羽田空港へ着陸する飛行機がひっきりなしに上空を通過する非現実的な埠頭で、あとさきも考えずに車を預けてしまった安子は、そのまま電車で都心へ移動し寝台車に飛び乗った。
最近の疲れのせいなのか、時差ぼけのせいなのか、安子はすぐに眠りに落ちてしまった。
札幌行きの電車の中で目を覚ましたときには、既に薄明るくなってはいたが見慣れない風景の中を走っていた。線路の両側にはラベンダーの花畑がどこまでも続いていた。しばらくして電車は函館駅に着いた。
車を苫小牧のフェリーターミナルで受け取るまでは時間があったので、安子は函館駅で鈍行に乗り換えて苫小牧まで向かうことにした。電車の中から見える風景は、海岸線であれ、森であれ、山であれ、どこか今まで見てきたものと違うように感じた。
函館にしても、室蘭にしても、その他の地名にしても、いかにも北海道、というエキゾチックな名前で、外国の地名に慣れている安子にもかかわらず、初めて本当に旅をするという気分を味わっていた。
苫小牧で夜の9時くらいに車を引き取った安子は、自分の車が北海道に来ているという妙な気分を味わいながら車に乗り込んだ。このあとの行動をどうするかなんて何も考えていなかった。
裕に電話をしてみようと思ったが、携帯電話の番号なんて知らないし、彼が最初に北海道に渡って行ったときに貰った電話番号に電話することにした。まだ同じところにいるかどうかも判らないし、ひょっとしたらもう結婚しているかもしれない。
意外にも、裕の電話番号は変わっていなかった。というか、裕本人が電話に出た。
名前を告げる安子に、「今時固定電話のこの番号に掛けてくる人なんていないよ。変な勧誘かと思ったじゃないか、わっはっは」と裕は昔と何も変わらない口調で話した。
北海道に来たことを告げると、「牛の乳絞りのおばさんが風邪をひいて困っているので是非とも助けに来て欲しい。安子はヘタだけど、猫の手も借りたいとときに猫がきたようなもんだよ、わっはっは」と裕は言った。
苫小牧で一泊したあと、安子は襟裳岬の近くの農協で働く裕のところに向かった。
何もかもが北海道であった。雲も海岸も、草花も木も。東京と違って直線的なものは何もない。すべてのものが、自然体で好きなように形を作っている。元々人間のいた自然界には真っ直ぐなものなんてないはずである。直線だらけの自分の普段の生活が馬鹿げてきた。そして、この道は四駆でないと意味がなかった。といっても普通の国道だが。
電話で教えてもらった住所を探して到着したときには苫小牧を出て四時間ほど経っていた。その住所の家はログハウスでできていた。曲がった丸太をそのまま使っているのが裕の性格を表しているように思えなくもない。
この15年間の裕の変化をまったく知らない安子は、ログハウスの前に止めた車の中でしばらく躊躇した。チャイムを鳴らしたら、裕の奥さんや子供が出てくるかもしれない。
数分間ためらっていると、前からドロドロの四駆がやってきた。運転席に座っているのは、遠くから見ても裕に違いなかった。
車がスピードを落としてログハウスの前までやってきた。
裕と目が合った安子は思わず視線を下に落としてしまった。
そして、その瞬間安子には全てのことが判った。裕はいまだに独身であるし、彼はいまだに安子のことを思っているということが判ったのである。
裕の誕生日をナンバーにした安子の四駆と、安子の誕生日をナンバーにした裕の四駆が横に並んだ。
あの頃にタイムスリップしたように遠くから牛の鳴き声が聞こえてきた。
ラベル:愛
このワタクシはどこにも入りません。
あくまでもフィクションですから〜、、、残念。
北海道の地理について勉強になりました。
…じゃなくて、この二人、15年の時を経てのハッピーエンドですか。
ということは、このワタクシにも、可能性はあるのだろうか?
(と、15年前の遍歴を思い出してみてる次第です)
ちなみに、室蘭にも切ない思い出があります。。。
いつかまた、ぱん恋風と詐称して、書いてみようかと。
>この二人、15年の時を経てのハッピーエンドですか。
>このワタクシにも、可能性はあるのだろうか?
それは、このワタクシには判りません。
>ちなみに、室蘭にも切ない思い出があります。。。
本州の人間の勝手な言い分だが、ムロランという音が既に切ない気がするのです。
もっとも、地球岬に行ったときは、ちょっと感動しました。
>いつかまた、ぱん恋風と詐称して、書いてみようかと。
書いたら連絡してください。
ところで、この話は、「ぱんちょな恋の物語」(ぱん恋)にしては、珍しく、主人公が三人称です。
前から、三人称では文章が書けなかった(というか、感情移入ができなかった)このワタクシが、華々しく三人称挑戦を試みた話です。
そして、三人称で書いたら、なぜかハッピーエンドになってしまいました。
一人称で書いたら、ほぼすべてが切なく終わってしまうというのに。。。
以上、作者の解説でした。