あの時代、毎年1月の最後の週末には、共通一時試験なる高校三年生にとってはかなり大きなイベントが催されることになっていた。なんといっても、この試験をとりあえず受けない限りは、国公立大学を受験する権利すら得られないのだから大変である。
そして、ボクの18歳の誕生日は、まさにその共通一次試験の初日であった。
当然、誕生日の昼間は終日試験である。それも単なる試験ではなく、下手をすると人生で最も重要な試験かもしれない。
さらに、誕生日が試験の初日だけに、翌日の試験を考えたら浮かれてもいられない。
18歳と一日目、つまり誕生日の翌日、ボクは試験会場からとトボトボと家に向かって歩いていた。
どう考えても国公立大学に受かる可能性は少ないとこの二日間の試験の出来栄えからボクは悟っていた。
ボクは、京都にある(ちょっと名の知れた)私立大学の附属高校に受かっていたにもかかわらず、そちらに行かずに奈良の公立の高校に通っていた。つまり、ほとんどの生徒がエスカレーター式に大学に入れるその私立大学の附属高校に行っていれば、3年間の高校生活は全然違ったものになっていたかもしれないのである。
共通一次試験の結果が悪かったからといって、今さらその私学には受験してまで行きたくないし、そもそもその私学よりも偏差値的に劣る私学にも行きたくはない。
もっとも、そんな偉そうなことを言っている余裕はほとんどなく、模擬試験を何度受けても、自分の受かりそうな大学の偏差値は、黙って入れた大学の遥かに下のほうであった。
ボクは、この3年間は何だったのだろう、という大きな絶望の中にいた。
とりあえずは、ロクに勉強もしていなかったボクが最も悪いのは言うまでもないが。
15歳での判断ミスが18歳になってこれほどの影響を及ぼすとは思いもしなかったのである。
最終的に私立高校に行かずに公立高校に入った理由はたくさんある。
「安い」、「近い」が最も大きな理由ではあるが、自分にとって最大の影響を与えたのは、入学試験のときに同じ教室で受験した生徒の中に、試験中にも見とれてしまうようなボクのタイプの女の子がいたことであった。
机の数を数えて、ボクの受験番号から逆算して彼女の受験番号を控えていたボクは、合格発表の日に彼女の合格を確認した。もちろん自分の合格も。
その上で、「安い」、「近い」も絡んできた。
しかし、今から思えば、ボクがこの学校に入学しても、彼女も入学するかどうかは分からなかっただけに、大きな賭けに出たものであった。
果たして、彼女とボクは同じ学校の生徒となった。
もっとも、同じ学校の生徒となっただけで、クラスも違えば話すこともない。
おまけに、高校生レベルの男女の付き合いというのは中学生レベルとは違うのかなんだか分からないが、彼女になかなかアプローチできないのである。
今までなら簡単に女の子を口説いていた自分が今までの自分ではなくなっているのである。
それは、ひょっとすると彼女を真剣に好きだったからそうなったのかもしれない。
アッと言う間に高校生活の2年間が終わってしまった。
あまり接点はなかったが、2年間の間に少しはお互いの事を理解するくらいの関係にはなっていた。
高校生活があと1年しかなくなったある日、ボクは彼女を呼び出して思いを伝えたのである。
実際には、当日、ドラマなどによく出てくる肝心な場面でなかなか言い出せない柔な男の典型のようになってしまったボクが思いを伝えたのは、昼下がりに出会った二人が終電を気にするような時間になった頃であった。
ボクは、「付き合ってください」と正面突破した。
彼女は、「好きなんだけど、付き合えない」と言った。
「好きなんだけど、付き合えない」は、「友達のままでいましょう」と同義語であると判断したボクは、残り1年間の高校生活を、大好きな彼女とは距離を置いて過ごした。
国公立大学は無理、私学もかつてのレベル以下でないと無理、、、この状況でボクは18歳なりの判断をした。
この土地を離れよう。
共通一時試験失敗という落ち込んだ精神状態の中で、間違った判断から始まった高校生活3年間を払拭したい気分になったボクは、彼女から遠いところに行ってしまおうと考えたのである。一瞬そう思ってしまっただけかもしれないが。
関西という土地柄、ボクの大好きな彼女は、どこの大学に行っても今の家から通うだろう。
ボクは、とりあえず、落ちても同級生が納得しそうな東京の私学数校を受験した。落ちたらそのまま東京の予備校に入るという算段である。
さすがに、関西の私学に落ちたあとに東京の予備校に行かせてくれと親に言うのも気が引けたので、まずは東京の大学に落ちるというステップが必要であった。どうせ落ちるなら豪快に落ちたほうが世間体も良いので日本で有数の私学を受けたわけである。
いかにも18歳らしい平凡なアイデアであった。
なんと、それが人生で初めての東京である。
このときの経緯がなければ、ボクにとっての東京は、成人した後に関西で就職してたまに出張で行くくらいの街だったかもしれない。
初めての東京で、落ちるだけの「お気楽受験」のボクは、子供の頃からこの大学に行きたいと思い続けてきた他の受験生のガチガチな態度を横目に暢気に試験を受けていた。
不思議なことにというか、あまりにリラックスしていたからというのか、日本有数の私学を落ちる前にとりあえず受けた大学に受かってしまった。
「じゃ、ここにしよう」と他の大学には受験会場にも行かなかった。
新しい土地での大学生活で彼女の事なんてすっかり忘れてしまうはずだった。
しかし、事は簡単には進まなかった。
なぜか、彼女から時々手紙が届くのである。
メールも携帯電話もないあの時代、関東と関西は本当に遠かった。
しかし、たまに手紙が来たときのインパクトは今よりも遥かに大きかった。
手紙の内容は、サークルでこんなことがあったとか、新しいお店を見つけたとかいう類の他愛のないものばかりである。
それでもかつて大好きだった彼女から手紙が来ると、ボクの感性や感覚が麻痺するのであった。
時々東京に遊びに来る友人たちに、それとなく彼女の事を聞いてみた。
「大学違うからよく分からないけど、元気にしてるみたい」という当たり障りのない話が多かったなかで、ある女性が「結構もてるらしいけど彼氏はいないみたい」と言ったこともあった。
別にどうでもいい話なのだが、奇妙な感情が湧き上がってくる。
また、ある女性は、「誰から口説かれても断っているみたいで、どうも遠いところに付き合っている人か好きな人がいるって噂よ」と言っていた。
大学生活も4年目に入り就職活動が慌しくなってきたある日、彼女からの手紙をポストの中に再び発見した。
「できれば東京で就職しようと思います。東京に行ったら付き合ってくれますか?」
なんだ、、、これは。。。悪い冗談なのか。
付き合うも付き合わないも、自分でふっておきながら。
「好きなんだけど、付き合えない」と返事してみようかと思ったものの、それではあまりに芸がない。
返事のしようもなく数日間放っておいた。
何日か経つと、就職活動のために彼女が東京に乗り込んできた。
とりあえず会おうということになり、約3年ぶりの再会を果たした。
ボクは手紙の意図を探ろうと思ったものの、こちらから本題を切り出すのも気が引けた。
彼女も同じように考えていたのかもしれない。
平凡な話が数時間続いた。まるであの時と同じだ。
あの時と違うのは、大人になった我々には終電を気にする必要がなかったことくらいである。
いつまでも雑談しているわけにもいかないと思ったボクが「そろそろ帰ろう」と言ったのをキッカケに彼女から本題に突入した。
彼女は、あの時「好きなんだけど、付き合えない」といった理由を語り始めた。
ボクは知らなかったのだが、ボクが彼女に告白したとき彼女には別に付き合っている男がいたらしい。
彼女としては、まずはその男と別れる話を進めてから付き合いたいと言ったのだと言う。
つまり、「好きなんだけど、今すぐは付き合えない」だったのだ。
そうだとすると、ボクが切羽詰った状況の中で、「付き合えない」だけを拡大解釈して早とちりしたのかもしれない。
しかし、彼女からすると、ようやく男と別れたときには、ボクが彼女と距離を置き始めたので、今さら「付き合って」とも言えなくなったというのである。
結果的に、ボクは東京に去ってしまった。
それにしても、恐ろしい時間が経ってしまったものだ。
もうボクはあの頃のボクではなかったし、彼女もあの頃の彼女ではないだろう。
ボクが間違ったと思った15歳の判断は間違っていなくて、実は18歳の判断が間違っていたのか。
そして、今21歳の判断をしないといけない。
「しかしな〜、、、今さら付き合ってくれとも、、、」とボクが言いかけると、
「それじゃ、私から言うから」と彼女は言った。
「いや、そういうことはやはり男が言うべきだろ」とボク。
「あっ、やっぱり付き合ってくれるんだ」と彼女。
「うっ、いやその」、揚げ足を取られた。
「分かった。仕方ないから付き合ってやるよ」と半ばふてくされたボク。
「ずっと好きだったんでしょ」と意地悪く言う彼女。
「アホか」
「アホはアンタでしょーが」
「なんでやねん。そもそもオマエがあの時はっきり言わないから。。。」
「私はちゃんと言ったのに、勘違いしたのはアンタでしょ」
「そんなはずはない」
「いいえ、アンタが悪いに違いない」
どうでもいいやり取りが果てしなく続いたのであった。
二人には、空白の時間がなかったかのような関係が既にできあがっていた。
ラベル:愛