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2007年04月21日

信仰のあまり、舌を切り取り神に捧げる

 インドのあるヒンズー教徒が、自分の舌を切り取り、女神に捧げたらしい。。。(アホな)

(引用)
[ジャム 11日 ロイター] インドの献身的な男性のヒンズー教徒が、寺院で自分の舌を切り取り、女神カーリーに捧げ、病院に搬送された。警察が10日が明らかにした。
この男性は無職のスレシュ・クマーさん(24)。医師たちが傷を縫合したが、もう話すことは不可能だろうという。
9日夜、クマーさんはインド領カシミールのジャム郊外にあるカーリー神を祀る寺院を訪れた。
寺院内で、クマーさんはナイフで舌を切り取り、女神に捧げるよう僧侶に手渡した。彼はすぐに病院に運ばれた。
病院にやってきた報道陣に「私は女神の僕であり、固い信仰によって舌を切り取る力が与えられました」と書いた紙片を渡した。
(引用終)
 
 とりあえず、この事実がニュースになっているということから判断する限り、献身的なヒンズー教徒が誰でも彼でも舌を捧げているわけではないようだ。
 我が国でも、宗教の名の下に、信仰心のほとんどないこのワタクシから見たら不思議な行動をする人は少なからずいるし、ニュースにもなったりする。

 とりあえずこのワタクシにはよく分からないものの、古くからの宗教においては、神もしくは各宗教ごとに定めている一番偉い人とは今生では間違っても会えないと思うところである。
 だから、舌を渡された僧侶の方が困ってしまうのではないだろうか。
 また新興宗教においては、神もしくは各宗教ごとに定めている一番偉い人と今生で会えたりする。
 本当に信仰心の篤い宗教もあるとは思うが、どうもテレビで話題になる宗教やそれらの一番偉い人は胡散臭かったりもする。(参照:「祈願書をファクス送信すれば神様に届く宗教」)

 、、、と考えると、宗教そのものが、何かを拠り所として激しく信仰することにより救われた気になる自己満足のような気がしてならない。
 そして、こんなことを思っているこのワタクシも、ピンチのときには、「神」にも「仏」にも祈りを捧げるのである。その結果、良いことはほとんどなかったのに、またピンチになると祈りを捧げる。
 そして、祈りを捧げても捧げなくても、人には死が訪れる。
 死後の世界は誰も知らない。
 本当に信仰心が篤いと救われるのか。

 今のこのワタクシを救ってほしい。。。


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posted by ぱんちょなあおのり at 23:06| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あおのりの主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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