僕は、子供の頃からペット動物が嫌いだった。
犬に噛まれたことがあるという経験のせいでもあるが、とにかくお互いにコミュニケーションが取れないのに自分の近くまでやってこられるのは甚だ迷惑である。
「あっち行け」と言っても通じないし、無理やり追い払おうとするとかえって攻撃的になったりする。
だから、基本的には犬や猫には近付かないようにしてきた。
大学を出てすぐの頃、なんとなく付き合った彼女はアパートに猫を飼っていた。
デートのときも、猫の写真を見せてくれたりしたのだが、面倒くさいので適当に話を合わせていたものだった。
「まだ生まれて半年の子猫ちゃんはいつも洗面台で寝ている」と言っては、洗面台の上に座っている猫の写真を見せてくれたり、猫好きな人から見れば可愛らしくてしかたないようなポーズの猫の写真を眺めたりしていた。
東北地方の田舎町から出てきた彼女は、昼間は都心のレストランでウエイトレスの仕事をしていた。
「私、学歴もないし」とよく言っていた彼女だが、夜には広告の専門学校に通っていて、いつかは会社勤めをしたいと考えていたようだ。
彼女の学校が終わる夜9時頃に僕たちは会い、いつも夜遅くまで二人で過ごしたものだった。
段々と離れられなくなった僕たちは、いつしか彼女のアパートで一緒に暮らすようになっていた。
洗面台の猫は気になったが、それよりも彼女ともっと長く一緒にいたいと思ったのが自分でも不思議だった。
初めて彼女のアパートに行ったとき、扉を開けた瞬間に、鍵を開ける音を聞いた猫が既に入口にやって来ていて彼女を出迎えた。
彼女が「ミミィ、おいで」と言って抱きかかえると嬉しそうにしている。
そして「こいつは誰だ?」というような目で僕を見ている。若干の嫉妬心を抱いた僕とミミィはお互いに早くも戦闘モードである。
それから1週間ほど、僕はできるだけミミィとの距離を置こうとしていた。
不思議なもので、段々とミミィがいること自体はあまり気にならなくなってきた。といっても、ほとんど近付くこともないし、他の猫はどうかは知らないが、ミミィは非常におとなしい猫だった。
彼女がいないときなんて、一匹と一人はまったくお互いに気付いていないかのように時を過ごしていたものだ。
それでも、時々何を考えてなのか飛び掛ってくるのは嫌だったが、慣れればあまり気にならない。
さらに時が流れると、いつの間にかミミィを触ったり、ミミィの背中を撫でたりしている自分に気が付き不思議な気がしてきた。
そして、最後には僕らは親友になっていた。コミュニケーションは言葉だけで行うわけではないということにも気が付き始めていた。
逆に言葉の通じる彼女との間の方が分かり合えないことが多かったような気がする。
それでも、そんなこと全てが、一人ではなく二人で暮らしているということを物語っていた。
こんな二人と一匹の平凡な生活が1年ほど続いた頃、僕は転勤辞令を受け取った。
ある意味、夢の世界から現実の世界に引きずり下ろされた感じだった。
僕は、今から思えば、成人することは完璧な大人になることと勘違いしていたような気がする。
あれから15年近く経った今になってみれば、完璧な人間なんて実は全くいないということもよく知っているし、ひょっとすると人間なんて死ぬまで完璧にならないことも判ってきた。
彼女のアパートを出るとき、自分は彼女を将来幸せにできるほど完璧な大人にまだなっていない、そして、完璧じゃない自分が今彼女と結婚するわけにはいかないと思った。
だからといって彼女が嫌いなわけでもなく、完璧な男になったら彼女を迎えに来ようと考えていた。
引越の日、彼女を強く、長く抱きしめた。その間、もう僕がこのアパートには暫く帰ってこないということなんて知る由もないミミィも、妙に神妙にしていた。
アパートの扉をいつもよりゆっくり長い時間を掛けて閉めると、中から施錠する音とミミィが扉を引っ掻く音が聞こえた。
その後、僕が彼女を迎えにそのアパートに戻ることは一度もなかった。
そして、僕は、昔ながらのペット動物嫌いに戻っている。
僕自身は、あの頃と何も変わらない僕である。完璧な大人なんて見る影もない。
あの時、彼女と僕の二人で完璧、いや完璧に近いものを目指せばよかったのだろう。そう思えるのは年を取ったからである。
駐車スペースの子猫に近付いて見つめてみたが、ミミィであるはずはなかった。
実話ですか?
このブログの中のほぼ全ての話は創作です。
もっとも、1~15%くらいの話を元に、話を大きくしていることは確かですが。
例えば、この話の場合、友人の女性が猫を飼っていたこと以外には事実はありません。(ということにしておいてください。。。)